死ネマ見聞録

手持ちのボンクラ映画を粛々と紹介していくブログ。の・ようなもの。

死ネマNo.013「真夜中のカーボーイ」

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監督:ジョン・シュレシンジャー

公開:1969年

原作:ジェームズ・レオ・ハーリヒー

ちゃんと歩いてんだぞ!

 

あらすじ

金持ち女の相手をして金を稼ごうと、テキサスの片田舎からニューヨークへやって来た青年ジョー。だが現実の壁は厳しく、カウボーイを気取る彼の夢は遠のいていくばかり。そんなジョーが知り合ったのがラッツォと呼ばれる一人の男。始終咳き込み足を引きずって歩くその小男と、ジョー。大都会のはみだし者同士、次第に友情を深めていく二人だが、ラッツォの病状は日増しに悪くなっていた。ジョーは、フロリダへ行くというラッツォの夢を叶えようとするのだが……。

 

時が経つのは早いもので、第90回アカデミー賞の結果が発表されてから約半年が経った。前年度のショーレースは半魚人と発話障害の女性の恋の模様を描いたラブロマンス映画「シェイプオブウォーター」が作品賞、監督賞、作曲賞、美術賞と4部門制覇の快挙を成し遂げたことが記憶に新しいけども、同じ年、外国語映画賞部門で「ナチュラルウーマン」という映画が選出されていたのをご存知だろうか。

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ナチュラルウーマンは、あるトランスジェンダー女性が恋と差別に苦悩する様子を描いたチリのLGBT映画。この映画で主演を務めるマリーナ役のダニエラ・ベガは、役柄同様自身もトランスジェンダーの女優で、今までゲイやトランスジェンダーを「」として演じてオスカーに輝いた作品は数多く存在するけれど、トランスジェンダートランスジェンダー役を演じてアカデミー賞を受賞するというのは史上初アカデミー賞創設以来の快挙である。

前年の第89回アカデミー賞では、黒人ゲイ男性の恋を描いた「ムーンライト」が作品賞を受賞するなど、社会的にマイノリティな立場の人間が脚光を浴びる機会が増えたと感じる今日この頃。だがしかし、そもそもこういった「マイノリティ(少数派)」の人間たちが、たかだか50年ほど前までは「映画で描くことすら許されなかった」という時代がアメリカにはありました。いわゆるヘイズコードの時代です。

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ヘイズコードは、「アメリカ映画製作配給業者協会」によって設けられた検閲制度のこと。1960年代終盤までのアメリカ映画は、このヘイズコードによって、「道徳的に受け入れ難い」と判断された描写を削除したり変更したりと、厳しく規制することが当たり前でした。
今でこそレイプ、拷問、親殺し、近親相姦、虐殺となんでもありのアメリカ映画も、このヘイズコードが幅を利かせていた1930~1960年代は、「3秒以上の接吻描写禁止」「国家権力(警察官)に対する反逆行為禁止」「男女が同じベッドで寝る描写禁止」など、とにかく禁止事項が山ほど存在していて、それらをかいくぐった保守的かつクリーンな内容の映画のみが公開を許されていたのです(おもんなっ)。

コードが完全撤廃される68年まで、暴力・麻薬の描写はおろか「同性愛を描くLGBT映画なぞ以ての外」というのが当時のアメリカ映画界における常識で、もしこの頃にムーンライト(シェイプオブウォーターも)が作られていたとすれば、確実に企画段階で潰されていたか、全く別の映画になっていたであろうことは想像に難くありません。

ヘイズコードによる規制が徐々に緩和され始めた67年ごろ、アメリカンニューシネマ時代の幕開けと共に「セックス・ドラッグ・ロックンロール」など過激な描写が次々に解禁されていく中、アメリカ映画史上で初めて「ゲイ描写」を扱った作品が69年に登場しました。それこそが「真夜中のカーボーイ」です。

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この映画は、「卒業(1967)」「ラソンマン(1976)」「クレイマークレイマー(1979)」など数多くの代表作で有名なダスティン・ホフマンと、「帰郷(1978)」でアカデミー賞主演男優賞も受賞したジョン・ヴォイトのコンビによるバディムービー。

フィラデルフィア(1993)」「ブロークバックマウンテン(2005)」「ダラスバイヤーズクラブ(2013)」など、今でこそゲイ役を演じた俳優がオスカーを手にする光景は珍しくなくなりましたが、ほんの50年前まで、アメリカにおいてゲイは「精神病の一種」と定義されるほど酷い扱いを受けていました。ゲイ役がアカデミー賞を受賞するなんて、絶対にあり得なかったわけです。

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いずれもゲイを主役に据えたアカデミー賞受賞作品

そんな風潮の中登場した本作は、過激な性描写が存在しないにも関わらずX(成人)指定を受けたり、ゲイ描写(を思わせる)シーンを削除するよう配給に圧力をかけられたりと、当時あらゆる逆風に晒されたものの、その内容とテーマ性の深さが評価されて、後にアカデミー賞で6部門にノミネート、作品賞含む主要3部門を制覇する快挙を達成し、映画の歴史を変えました。この映画が存在しなければ(評価されてなければ)、後のLGBT映画は生まれていません

アメリカ映画史にとって非常に重要な一本と言えるでしょう。というわけで紹介していきます。

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物語はアメリカ・テキサスから始まる。カウボーイハットにウエスタンブーツ、上から下までカウボーイスタイルに染まったその男ジョー(ジョン・ヴォイト)は、大都会ニューヨークの煌びやかな街並みに憧れ、上京を夢見る一人の青年。

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ある日、思い切って勤め先の飲食店を辞めたジョーは、意気揚々とニューヨーク行きのバスに乗り込んでいく。自慢の“テクニック”でニューヨークのマダム相手にハスラー(売春)で生計を立てようという目論見があったのだ。

バスが都会に近づくにつれ、期待で胸が膨らみ目を輝かせるジョーだったが、夢の街ニューヨークで彼を待ち受けていたのは、人や車が溢れて窮屈な道路と、他人行儀で冷たい都会人。思い描いた想像とは異なる現実を前に、ジョーは次第に孤独と戸惑いを覚えていく。

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片っ端から裕福そうな中年マダムに声をかけては冷たくあしらわれる中、ようやく一人客を掴んで行為に及んでみるも、事が終わって料金を請求したら「この私からお金を取る気なの!?」とキレられ、逆にお金を払わされるハメになるジョー。最早そこには、華々しい都会デビューなどカケラも存在していなかった。

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何もかも上手くいかず、途方に暮れる先で入ったとあるバーで、ジョーある男と運命の出会いを果たす。周りからラッツォ(ネズ公)と呼ばれる小汚いその小男は、自らをブロンクスリッヅォ(ダスティン・ホフマン)と名乗った。

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ハスラーの商売が上手くいかないジョーに、「あんたにはマネージャーが必要だ」とアドバイスするリッヅォ。その界隈の顔役を紹介する代わりに紹介料をリッヅォに支払うジョーだったが、紹介先に現れた男オダニエルは、顔役でもなんでもない、ただのゲイの親父だった。

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騙されたことに腹を立てたジョーは、街中を駆けずり回ってようやくリッヅォを見つけ「金を返せ!」とまくしたてるも、当のリッヅォは「ゴミと小銭しか持ってない」と開き直る始末。リッヅォに預けた紹介料で手持ちが尽きていたジョーには、もはや雨風しのげる宿すらなかった。

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行くアテもないので、仕方なくリッヅォの「」に居候することになるのだが、案内されたそこはなんと取り壊し予定の廃墟の一室。リッヅォはそこに不法占拠してるだけの浮浪者と変わらない存在だった。

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都会に来てからというもの、ろくな目に遭わず辟易するジョーだったが、リッヅォと始めた奇妙な共同生活を送るうちに、段々と隣人の尊さ人の暖かさに気付き始める。だが、季節は次第に移ろい始め、街に冬がやってくる…。

 

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といった具合で、本作は純朴な田舎者ジョーと、都会の底辺をさ迷う小男リッヅォの二人が、ニューヨークで一旗上げようともがく様を描いていく。

冒頭の解説で本作を「LGBT映画の元祖」みたいに紹介しておいてアレだけれども、別にこの二人はゲイではないし、ゲイのカップルも出てきません。紛らわしくてスマンソン。

だがしかし、作中にはオダニエルを始め、全編通して幾人ものゲイ男性が登場するし、マダムを引っ掛けられないジョーが仕方なくゲイの相手をするシーンも存在します。

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今でこそ「だから何なの?」とスルーされがちなこれらの描写だけれども、忘れちゃいけないのが公開当時(1960年代)のアメリカの風潮。ゲイは「病気」であり、「触れちゃいけない臭いもの」だったアメリカ60‘s。映画に登場させた上に性的な描写を匂わせるなんて、当時としては相当型破りな描写だったのです。この映画がアカデミー賞を受賞して評価を獲得したおかげで、後にゲイ映画の元祖とも言える「真夜中のパーティ(1970)」が生まれました。

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アカデミー賞は、作品にとっての最高の伯づけとして映画界に存在する一方で、受賞した作品が扱うテーマ・描写を肯定するという側面も存在します。この肯定によって、今まではNGだった題材が以後は扱われるようになり、「ダラスバイヤーズクラブ」や「ムーンライト」などの新たな名作が生まれる土壌が出来上がるわけです。セックス暴力描写を前面に押し出してアメリカンニューシネマ時代を到来させた「俺たちに明日はない(1967)」のように、真夜中のカーボーイが残した功績というのは、そういうものでした。

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でもですね、この映画が評価された理由は「初めてゲイ描写をしたから」などではありません。その真の理由は、作品に込められたテーマ性にこそあります。

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主人公ジョーが大都会ニューヨークで揉まれ、挫折し、段々と社会を知っていく様は、大人になれば誰しもが身をもって知ることになる現実そのもの。何も知らないジョーは都会ではカウボーイがモテると勘違いして、全身をウエスタンスタイルで装飾して街を練り歩くわけですが、実際は街行く人から白い目で見られ、挙句の果てには「ホモ」と勘違いされる始末。

それでも「ジョン・ウェインこそ本物の男だ」と信じるジョーは、ウエスタンスタイルにこだわり続け、いつも片手に抱えるラジオの音に耳を傾け周囲の音をシャットアウト。そこから流れるハリー・ニルソンの挿入歌「うわさの男」の歌詞※1は、盲目的なジョーの生き様を象徴するような内容で、聴いててドキッとさせられます。

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ジョーの姿は一見すると「自分を曲げないイカした男」に見えなくもありませんが、彼の場合は掲げる信念や情熱も存在しないので、曲げないというより「曲げられない」だけ。要するに、子供の幻想(映画の世界)から抜け出せない子供大人、それこそがジョーという男の本当の姿。

この「曲げられない」という生き方は、ジョーに限らず、この世界の多くの人が抱えるであると言えるでしょう。なぜなら、その根底にあるものは孤独だからです。

文明と技術の発達によって、人と人との関係性が希薄になりつつある現代にこそ、ジョーはたくさん存在しています。それこそ、現実を直視せず、スマホを片手に街を歩く現代人の姿は、ラジオに耳を傾けるジョーの姿と全く同じジョーは決して、50年前の映画に登場した過去の人などではない訳です。

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この映画の素晴らしさ、普遍性について語り出したらキリがないのでこの辺にしておきますが、この映画の最も感動的なところは、ジョーがあることをキッカケに今までの自分(カウボーイ)を脱ぎ捨てて大人になるシーン。

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自分のこだわりを捨て去って大人へと成長するジョーの姿は涙なしには見られませんが、忘れてはいけないことに、この映画はアメリカンニューシネマです。ニューシネマの定義に漏れることなく、残酷かつ切ない結末が観る者を待ち受けています。そのラストについては、是非自分の目で確かめてください。

 

『こぼれ話』

その①「親子

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主演を務めるジョン・ヴォイトは、女優アンジェリーナ・ジョリーの実の父親。映画「トゥームレイダー」で親子共演を果たしたこともある。

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映画トゥームレイダーより

 

その②「ニューヨーク

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真夜中のカーボーイで描かれるニューヨークの街は、びっくりするくらい暗く汚く描かれているが、こんな風に「汚いニューヨーク」をありのままに描いた映画は本作が初。それまでニューヨークといえば、ヘプバーン主演の映画「ティファニーで朝食を(1961)」に出てきた綺麗で品のある街並み(5番街)を想像する人が多かったので、この映画で描かれる荒涼とした街並みの様子は、当時なかなかの衝撃を与えたという。(汚い街並みを描けなかったのもヘイズコードの影響です)

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ティファニーで朝食を」より

というか、この映画の冒頭にはティファニー店の前で行き倒れる男が登場するのだが、どう見ても「ティファニーで…」に対する当てつけでしかない。面白いので是非両方を見比べてみてください。

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右上に注目

 

その③「ゲリラ撮影

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この映画は当時低予算(100万ドル)で製作されたため、望遠で群衆を歩くシーンの殆どはゲリラ撮影によって撮影されている。名シーンとして有名なタクシーに向かって吼えるホフマンの姿は、運転手を含めて全部アドリブ

 

その④「タクシードライバー

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LGBT(描写)映画の先駆けとして、さまざまな映画に影響を与えた本作だが、マーティン・スコセッシの映画「タクシードライバー」は真夜中のカーボーイから大きく影響を受けていることで有名。ジョーがニューヨークの街を一人孤独に歩く様子や、ウエスタンブーツ、ポルノ映画館が立ち並ぶ42丁目など、よくよく観ると似ている要素が沢山出てくる。

 

その⑤「カーボーイ

邦題「真夜中のカーボーイ」の“カーボーイ”は何か意味があるわけではなくて、単にカウボーイの誤訳。何故か今に至るまで直ってません。

 

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おわり

 

 

※1

Everybody's talkin' at me

誰もが 俺のことを話しているけど
I don't hear a word they're sayin'

俺にはそんな話など 聞いてないのさ
Only the echoes of my mind

ただ 自分の心のこだまが 響いているだけ 

People stoppin' an' starin'

人々は立ち止まって ジロジロ見てるけど 
I can't see their faces

俺には奴らの顔など 見えないのさ
Only the shadows of their eyes

ただ 奴らの眼の影だけが(見えるだけ)

「うわさの男」より一部を抜粋